毒吐き女のぼやき

毒吐き女のぼやき

看護師4年目、訪問看護の非常勤ナース。私が歩いた道のりをここに残していきます。

仕事のやりがいより人生の生きがいを見つけるべき

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(引用:http://googirl.jp/lifestyle/1510sutoresufuri027/

 

こんにちは。毒吐きブロガーのまなみです。

 先日こんな言葉を見かけました。

 

「与えられた環境の中で仕事のやりがいを見つけるもの」

この言葉を目にして私は違和感を覚えました。

 

与えられた環境という時点で視野や範囲を狭めているし、その中でやりがいを見つけるなんて見つけられる人は一握りなんじゃないでしょうか。

 

与えられた環境なんてない

そもそも与えられた環境ってなんでしょう。

環境は与えられるものなんでしょうか。

私は「環境は自分で作り出すもの」だと思います。

 

4月になり新社会人の方や転職などで新しい環境に属した方も多いことでしょう。

でも彼らにとってその職場は与えられたものなんでしょうか。

 

いいえ、自分が望んでその環境を選んだんです。自分がそこに属することを選択して自分で決めたのです。

これは自己責任。人から貰ったものでも与えられたものでもないです。

 

確かに『今までの環境とは別の環境に飛び込む』という点では、新しい環境を自分の中に作り出したのかもしれません。

順風満帆で充実した環境も、思うように上手くいかない環境も。

いまの自分を取り巻くものは、全て自分で選んだ環境です。

 

仕事にやりがいを求める必要はあるのか

皆がみな仕事にやりがいを求めるべきなのでしょうか。

私は求めなくていいと思っています。

むしろ、仕事でやりがいや誇りを感じられる人はラッキーなんじゃないかなくらいにしか捉えていません。

事実、世の中の仕事をする全ての人が仕事にやりがいや誇りを見出せない人の方が多いです。

 

やりがいや誇りなんて無理に見出さなくてもいいものです。あったらラッキー。

見つけられた方が満足度が高くて充実した時間を過ごせるってだけで。 

 

だから、「今の仕事のやりがいってなんだろう?」なんて考えなくてもいい。

考え込んで

『やりがいのない仕事をしている自分、この仕事のやりがいや誇りを見出せない自分は向いてないんじゃないか』

なんて考える必要がないと思っています。

考えすぎて自分を攻め込む必要なんて微塵もないです。

 

仕事はあくまでも生活を支える資金を稼ぐためのツール・手段でしかないと思うので。

 

仕事のやりがいよりも人生の生きがいを持つべき 

先ほど『仕事はあくまでも生きるためのツール・手段でしかない』と言いました。

あなたの時間はあなたの人生は、仕事をするためにあるのでしょうか。

このご時世でそう思ってしまっているのであれば、なんだか勿体ない気がします。

 

そう信じている人は仕事がなくなった時、やりがいや生きる意味を見出せなくなります。

仕事にやりがいを求めようと期待するから、それがなくなった時、手に入らなかった時に自分の無力感、虚無感に襲われることになるんです。

はじめから期待なんてしなくていいし、仕事にやりがいも求めなくていいと思います。

 

それよりもまず大切なのは『自分はこう生きたい』という考えがあることだと思っています。

 

日々忙殺される仕事に追われ「自分はこう過ごしたい」「こうなりたい」と考えることを忘れてしまっていませんか?

考える事をやめてしまっていませんか?

考える時間を作っていますか?

自分がこの世を去る時、やりたかったことができなかった、達成できなかったと悔やむなんて悲しいし、少なくとも私は嫌です。

 

仕事が出来ても自分の時間が満たされなければ、充実した人生だと言えるのでしょうか。

仕事に時間を取られると考える時間がなくなり、考えることをしなくなります。私のことです。

ただただ忙殺されるだけでなく、今だからこそ自分なりの生き方を考えてみて欲しいです。

 

自分はどう生きたいのかに向き合ってそれを見つける

もちろんそこに仕事がマッチしたのなら、これほどになく充実した時間で埋め尽くされた人生になることと思います。

 

反対に、今の環境に納得できないのなら自分で環境を変えていくのも一つの手だし、

自分の生きがいは何かをまずは見つけて、それを求めていくべきだと思います。